先日、放送大学の「心理臨床の基礎」の中で表出しにくい感情は〈攻撃性と甘え〉だと学びました。
 わたしは以前からもとい君がなぜ棒を持ちたがり、それを鉄砲に見立てるのかがわかりませんでした。いつも温厚な彼なのですが、鉄砲に似た棒を見つけては形を整え「バンバン!」と打ってくるのです。この科目を学んで、ようやく彼が遊びの中で攻撃性を上手に表現していたのだ、ということに気づきました。おととしは特にそうすることが多かったので、違う遊びに発展させたらいいのかどうかずい分悩みました。しかし、今振り返ると昨年から少しずつそれが減ってきたことがわかります。それは、自分の言葉で「イヤ」を言えるようになったからだと思います。頭に来た時、イヤなことをされた時、「こうこうだから、こうなった。だからやめて!」と言ったり、「かして!」と言ったりそれでも通らない時は時には力ずくで押し通そうとしたり、入会当初よりはずい分はっきり言葉や行動で自分の思いを表せるようになったなと思います。
 攻撃性といいましたが、実は甘えと表裏一体にあります。本当は甘えたいのです。でも、それを上手に表現できない時、しばしば攻撃的になるように思います。
 しゅんや君はお友達をグーではたきます。やっぱりグーは痛いので、せめてパーにしようね、といっています。だって、グーとグーでは握手できないですものね。お友達と手をつないでいくには開いた手開いた心が必要です。よく見ているとしゅんや君はじゃんけんでもグーしか出しません。パーやチョキも出せるようになるともっと遊びが楽しくなると思って声をかけています。
 二学期最後の日、しゅんや君が遅れてきたのでもとい君がちょっとからかって、「しゅんくんはパジャマをきがえるのがおそいんじゃないの?」と言ったらいきなりもとい君の胸にげんこつでパンチをいれちゃいました。わたしは離れたところにいたので、「あちゃー、どうなるかなー」と思って見ていたら、あまりの痛みにもとい君がきれて、しゅんや君の背中に大きなげんこつをドカーン! もとい君は大泣き。しゅんや君もメソメソ。どうやら見ていないところでなお君も参戦していたらしく、グズグズ。そばに行って、どうしたのかいろいろ聞きましたが、なかなかおさまりません。「言葉でいおうよ」といいましたが、子ども達の気持ちを察して「でも、口で言えない時もあるよね」と言ったらうんうんとようやくみんな納得したようでした。こんなこというのわたしぐらいかな~とも思いましたが、保育をしていると正論だけではダメで、その子の気持ちに添うことが一番の解決策になる時があります。
 攻撃性や甘えをうまく遊びの中で表現できるということは、すなわち自己肯定感につながるのではないかと思います。自分が持っている感情は決して悪いものではない、と思える子どもに育って欲しいのです。だって、やっぱり、大人になっても頭にくることはありますから。それを「こんなことを思うのは悪い自分だからだ」なんて思ってほしくはないです。
 「現代の生活問題」という科目では、現代の若者達の「生きにくさ」について書かれてありました。従来からの「基礎学力」に代表される「近代型能力」としての標準性・知的操作の速度・順応性と、「生きる力」に代表される「ポスト近代型能力」としての多様性・創造性・能動性という多元的な能力を企業や社会から求められている、というのです。つまり、企業戦士としての「近代型能力」と「独立開業」の気質ともいえる「ポスト近代型能力」の両方を求められているのです。そんなマルチな人間はいったいどれくらいいるというのでしょうか。講義の中では、そんな社会の中で一つの「望ましい家族」として「外とは異なる関係を両親が実現できる家族」とし、信田さよ子さんの「愛しすぎる家族が壊れるとき」から以下の文を引用していました。
それは社会システムと否が応でも連動せざるを得ない状況にあって、それでも家族の価値観がそれと連動しないようにいわば防波堤のように維持できる家族である。極端に言えば、社会でも規範を家族が崩すという相対化を敢えて行える家族である。このように時に開かれ、閉じられながら、子ども達の生き方に新たな光をあてられたら、とわたしも思います。
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2011.01.26 Wed l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top

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