わたし達がお借りしている「あおぞら館」は広井郷幼稚園の元園長遠藤康子さんのご自宅でした。その遠藤康子さんは昨年8月7日66歳の若さで癌でお亡くなりになりました。
 8月11日、今年2回目の第4回たけの子夏キャンプ終了の翌日、康子さんの「おわかれ会」が米沢市の告別式場ナウエルで執り行われました。


わたしは一度もお目にかかったことはなかった康子さんでしたが、お兄様の農村文化研究所理事長遠藤宏三さんら親族の方々や交流のあった方々のお話しを聞くにつれ、本当に私心なく、子ども達や地域のために尽くした方だったのだなと改めて知りました。そのような高邁(こうまい)な方であると知らないとはいえ、わたし達はその方が亡くなって間もなく、ご遺品などは徐々に整理したいと思われていたかもしれないご親族のお気持ちを無視し、12月には使わせていただきたいと整理を進めてしまいました。康子さんの清らかな精神を思うと、自分の思いやりのなさを更に恥じ入るばかりです。
 「おわかれ会」は康子さんが音楽が好きだったということで、3人の方がそれぞれ、歌や楽器を演奏してくださるという心のこもった会でした。その中でも、遠藤理事長が吹いてくれたハーモニカの音色は特に心に沁みました。康子さんがお亡くなりになる前の最後の面会の時も演奏してさしあげたそうです。

 その後の会食の際わたしは、農林水産大臣をなさった遠藤武彦氏(通称エンタケさん)のお隣に座らせていただきました。上座も上座…。本当に不調法なことでしたが、理事長の進めとあってはお断りすることもできず、非常に恐縮しながら座らせていただきました。
 そのエンタケさんから「そんぴん」と「かんくらい」ということについて教えてもらいました。
 「そんぴん」というと損して貧すると書き、大抵は変わり者というぐらいの意味に取られているが元々の意味はそうではない、というのです。
 昔(紀元前4世紀頃)中国の孫という卓越した人物がいました。しかし、同じく兵法を学んでいた同僚におとしめられ、「臏」(ぴん)という足切りの刑を受けることとなってしまいました。その後その様な逆境にもめげず、身をたてて数々の戦いで軍師として勝利を収めます。つまり、どんな逆境にあっても己を見失うことなく、周囲からは変わり者と言われても自分らしく生きる人のことを「そんぴん」というのだということでした。なるほど…です。エンタケさんもそうですし、康子さんもまたそんぴんであったのだと思いました。
 遠藤理事長はわたしのことを「康子の生まれ変わり」と言ってくださいます。比べようもありませんが、そういっていただけるのは有難いことです。また、わたしも旧姓は遠藤ですので、浅からぬ縁(えにし)があるのかもしれません。
ついでに「かんくらい」という言葉も食事の際親族の方から飛び出していました。かんくらいとは「しょっぱいものだけとか甘いものだけ食べる人」という意味があるようです。つまりこちらも頑固者、変わり者、という意味があるみたいですね。それと共にエンタケさん曰く、鈍い人っていう時も使うみたいです。「こんなこともわからないなんて、かんくらいなやつだな。」とか…。
 わたしが「上杉鷹山公の教えが米沢には生きていますね」と言いましたら、「鷹山はもともとは九州宮崎の出身。あの教えは東北に息づいていた教えを感じ入って広めたのだ。」と教えてくれました。なるほど、です。雪国米沢(置賜地区)に伝わる人々の知恵。自然に屈せず、共に生きてきたたくさんの知恵があの言葉に含まれていたのですね。

成せばなる、成さねばならぬ、何事も
成さぬは人の成さぬなりけり。

 米沢の山の木は、たいがいまっすぐ立っていません。まがっています。雪の重みに耐えかねて曲がっていることが多いのです。
 でも、その木は子ども達にとってとても登りやすいのです。わたしはそれがこの米沢の人達の温かさを象徴しているように思います。まっすぐ、己を貫くだけが本当の優しさではないということです。時には重圧に押しつぶされ、ひしゃげたり、曲がったりしてしまうかもしれません。でも、それは人に優しくなるために必要なことなのだと思います。わたしも「そんぴん」な人になりたいなと思います。え?もう、十分なってるって…? どういう意味?  もう!  辺見妙子 
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2013.08.29 Thu l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top

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