たけの子だより 2010年12月11日

 11月26~28日の三日間、「第6回森のようちえん全国フォーラムin山梨」に参加してきました。
総参加者数500名という今までで最大規模の大会となりました。なにか、大きなうねりというか、未来の日本、ひいては世界の小さな希望のようなものを感じてきました。日本もまだまだ捨てたもんじゃーないのだなと。
 初日の「エコビレッジ」の話しは非常に興味深かったです。日本に古くからある里山を中心とした生活形態を意図的に再構築していく、といった感じです。世界各地でこの試みは実際に始まっており、自然と共に人と共に生きる、新しい形態として今後注目を集めていくことでしょう。日本でも福島県飯館村でこの取り組みが始まっている、との報告がありました。何よりも、このことを日大で科目として取り上げ研究しているというのですから本当に驚きました。少子高齢化社会、または子ども達がかかえる引きこもりなどの問題解決に繋がるのでは、と思えました。政治家の先生方にぜひ聞かせたかったです。
 1日目の夜は、わたしはつくしんぼの福永雪子さんの講演を聴きました。1時間半では語りつくせない28年間の歴史を背景に語る福永さんの言葉には重みがあり、たけの子の未来に明るい展望を見出すことができました。最後に「大人は大人らしく、子どもは子どもらしく」とおっしゃっていました。それはつまり同じことで、「その人らしく」ということなのだと。
 翌日の朝食時にも福永さんとお話しできたのですが、その中で保育者も思っていることを言っていいのだということを言っていただきました。
 福永さんのお子さんがまだ小さい頃、お手伝いの方がいらしたそうですが、その方が子ども達が汚して帰ってくると「もう、こんなによごして~」と言っていたそうです。それは、別に「もうよごしてこないで!」と言っているわけではなく、「あなた達がよごしてくると、わたし、困るのよ」と、大人の立場からものをいうのは悪いことではないと教わったとのことでした。保育者がかける言葉について迷っていたわたしは、目からウロコでした。
 先日、こんなことがありました。太平寺公園で遊んでいる時、しゅん君のマフラーをはると君が汚したと言ってしゅん君が大泣きしました。見ると、確かにちょっと汚れています。「かわくと取れるよ」となだめて歩き出すと、なお君が「はると君はしゅん君のマフラーを汚したから、手つながない」と繰り返し言っています。はると君は「よごしてない!」といいはります。「よごした!」「よごしてない!」とふたりのやり取りはどこまでも続くように思われました。この際、どうなるのか見ていようと心に決め、見守っていると、なお君が「じゃー、今度やったらデコピンだよ!」と言ったのです。みんなその言葉にホッと笑顔になり、「デコピンって痛くないよ」などと話しが盛り上がりました。しゅん君もニコニコ。自分のことじゃないけれど、代わりに言ってくれる友達がいるってなんて心強いんでしょう。しかも、最後はユーモアでしめてくれたなお君。
 実はいじめの温床になっているのは、無関心な傍観者です。友達が困っているときに黙っていられないという気持ち、大切にしたいです。
 正直、こんな時子ども達になんて声をかけていいのか迷います。自分のことじゃないのに友達を思って怒っているのですが、言い過ぎてやしないか心配になります。でも、この時は黙っていてよかったと思いました(先の福永さんの話しとは逆ですが)。子どもにはちゃんと解決する力があるのだと再認識した出来事でした。
 森のようちえん全国フォーラム最後は岐阜大学教育学部の今村光章先生の「森のようちえんの教育的意味づけを求めて」というお話しでした。その中でわたしが最も印象に残ったことは「遊びこむ世界への回帰:従来の幼児教育の再考契機」という内容で、〈溶解体験への扉を開く(世界とひとつになる経験)〉です。例として絵本の「かいじゅうたちのいるところ」「あおくんときいろちゃん」(いずれも辺見宅にあります)を上げていました。この、「世界とひとつになる経験」は決して生産的なことでも、有効的なことでもないのだけれど、これこそが、生きる厚みを創るのだと教えていただきました。子ども達の様子を見ていると正しくその通りで、ただ、ひたすら土を掘っていたりします。何が出てくるわけでもなく。
 「遊びこむ・・・」ということで、もう一つ。〈人間になる教育のなかで動物であることを認識する契機〉というお話しもしていただきました。人は人間になる以前に動物です。動物‐人間-超人間(人間を超えた存在になる教育)という縦のラインを創るのが森のようちえんではないかとのお話でした。その縦のラインが喪失している現在、森のようちえんが行っている体験を中心とした保育が、わたし達が人間として生きる前に動物としてのしぶとさたくましさを獲得することができる教育なのだと感じずにはいられませんでした。
 まとめとして「森のようちえん活動は、それ自体が教育的な意義を有してるだけではない。人間になることの意味と人間の生の技法の豊かさを問い直す教育の広がりを考え直す点で、大きな教育学的意義がある。実践者も、幼児教育のなかで子どもたちに何を願うのか、そして子どもの何を現実として認識し、どのようにかかわるかについて、大きなヒントを得ることができる貴重な教育である。」としめていただきました。そして、いずれ森のようちえんが量的に増えることによって質的な変化を生み、今の幼児教育を変えることができるかもしれないとも。
 来年の春、保育者の一人が新しく森のほいくえんを立ち上げます。福島でもいずれ森のようちえんを保護者が選べる時がくるでしょう。わたし達は福島のパイオニアとして、これからも子ども達の成長を豊かに育んでいきたい、と思いを新たにできたフォーラム参加でした。

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2011.01.26 Wed l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top

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