三年目の最初のたけの子便りをこんな内容でスタートさせようとは夢にも思っていませんでした。
 今日は本当は山梨県清里から小西さんをおよびしてのスライドショーの日。そして、昨日は新たに三人の仲間を迎えての入園式の日のはすでした。しかし、3月11日の東北地方太平洋沖地震によって、状況は一変してしまいました。
 現在、入会者と入会予定者の8名のうち福島にいるのは1名のみです。7名の子ども達は県外に避難している状況です。現在は放射線量が減少してきているとはいえ、地震直後の原発の放射線流出、その後の東電と政府の対応を見れば当然のことと思います。皆さんの判断は正しかった。現在も完全に終息に向っているとは言えず、不安は消えないというのが正直な気持ちでしょう。
 わたし自身、本当に悔やまれるのは原発に対して真剣に向き合ってこなかったということです。こうなって初めて、無条件で外で遊べる環境があったということのありがたさを感じています。今さらですが、本当にデンマークの先進的なエネルギーの国家的な取り組みについて深く学び、発信するべきだったと思います。
 今後、どれだけの子ども達がたけの子に戻り、また、新たに選んでくれるのかわかりませんが、どんな形になっても、たけの子を続けていこうと思いを新たにしています。それは、やはり、こんな状況になってなおさら、外遊びの重要性を感じるからです。子ども達には自由に外を駆け回り、遊びを展開できる環境が必要なのです。わたし達大人はそのことについて責任があります。
 震災後、原発の放射線流出を止めようと、決死の覚悟で東電以外の電力各社や自衛隊から自ら志願して福島原発に来てくれた方々がいることを知り、胸がいっぱいになりました。その方達が自ら被爆線量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに上げて作業にあたってくれたことを知りました。でも、命がけの作業はあってはならないことですね。
 わたしは、そのような方達がきっと最悪の事態から回避させてくれるだろうと信じ、わたしはわたしで、できることを精一杯やろうと決めました。その時から、西高と東高の避難所巡りが始まりました。
 避難所を回ってみて思ったことは、原発を善か悪かの白黒だけでは表すことはできないということです。わたし自身は原発は反対です。人が制御しきれないものを作ってはいけません。人の知恵はもっと別なことに使うべきです。でも、浜通りに住んでいた人達はあそこに“生活”があったのです。たとえ危険なところでも帰りたいと切望しているのです。だからこそ、正確な情報が必要なのです。政府の発表している数字は正しいかもしれないけれど、どんな意味を持つのか、わかりやすく説明してくれないと皆さんの不安は増すばかりです。
 同じことが福島市でも言えると思います。今の福島市の放射線量は大人にとってはなんら問題はありません。しかし、子どもは十倍の感度があるといわれているので、コンマ以下にならなければ安心して外遊びはできないと思います。ただ、チェルノブイリで起きた子どもの甲状腺ガンは食品による内部被爆です。日本政府はいち早く放射線量が基準値より超えたものを発表し、流通を禁止しました。旧ソ連ではそれが遅れ、また、人々は知識がなかったために子ども達は汚染された牛乳を日常的に飲んでしまったようです。
 避難区域についても、国によって距離が異なることは周知の事実です。(フランス・10キロ、アメリカ・16キロ(10マイル)、ドイツとスイス・20キロ)30キロというのはチェルノブイリで初めて採用された距離です。この避難区域についても、30キロまでは完全に避難区域にするべきであるという意見も多く聞かれます。原発事故が終息に向っているわけではないことを考えれば当然かもしれません。しかし、ほとんどの人は「帰りたい」と願っているのです。また、帰らなければ、生活できないのです。それがわたしが白黒ではないと思うゆえんです。30キロ圏外でもホットスポットと言って跳んだところに危険な地区もできています。逆に20キロ圏内でも安全なところもあります。はっきりとわかりやすい説明が必要です。円を描いて一くくりにはできないのです。
 人は病気でなければ健康である、とは言えません。たとえ、危険があるとわかっていても、人とのつながりがあり、慣れ親しんだ土地で暮らしたいと思い、そうしたほうがその人にとって健康的な生活を営んでいると言える場合があるのではないでしょうか。
 ですから、たけの子も同じように、福島に住みたい(住むしかない、かもしれません)と思い、子どもにとって外遊びが重要だと思う人とともに歩んで行きたいと思います。きっとそれは以前からもそうだったのだと思います。どうか皆さんも自分で選び取ってください。自分にとって、子どもにとって何が大切なのかを考えてみるいい機会だと思います。わたし達もアンテナを高くして、あらゆる可能性を探りながら、未来を創る子ども達のために働きたいと思います。

以下、震災直後にラジオから流れ、わたしが大好きになった曲の歌詞を載せておきます。
元気でますよ! 
わたしも「誰かのせいにすれば容易い事を自分のせいにして立ち上がろう」と思います


ave「福の歌 ~頑張っぺ!Ver.」                                    
 いつか君がこの町で暮らしたいと言ってくれたら幸せだろう
 君の故郷になれるよう   まずは僕が動きだそう…

 声が聴こえるだろう  心が見えるだろう
 頑張ろう!!が響くだろう

 バラバラだった僕達が  今この時にこそ
 一つになる時が来たんだ  “頑張っぺ”

 うつむいた現実よりも  福島の空に未来を見よう
 笑顔から生まれるものに  望みを信じてはみないか

 誰かのせいにすれば容易い事を  自分のせいにして立ち上がろう
 そんな想いでいることが争いを失くすんだろう
 いつか君がこの町で暮らしたいと   言ってくれたら幸せだろう
 君の故郷になれるよう  まずは僕が動きだそう
 
 さぁ何から始めよう  笑顔から創めよう
 そこから初めよう

 僕は歌を唄おう  それしか出来ないけど
 君に愛を唄うように  この町に愛の歌を…

 人に乗り越えられない壁はないと
 証してくれた人達(ひと)がいるよ (※阪神大震災や、新潟大震災等を経験した人達の意)
 その気持ちを希望を胸に  少しだけ笑ってみないか

 出来ない事に背伸びばかりするから  出来る事すら出来ないで
 大切な事を見失いまた傷ついてくんだろう
 この町で叶えられないものはないと  夢が生まれていけるように
 福島人ならやれるだろう  何度でも立ち上がろう
 誰かのせいにすれば容易い事を  自分のせいにして立ち上がろう
 そんな想いでいることが争いを失くすんだろう
 いつか君がこの町で暮らしたいと  言ってくれたら幸せだろう
 君の故郷になれるよう  まずは僕らが動きだそう…                

 2011.03.15. ave 
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2011.04.09 Sat l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top

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