http://worldvillage.sblo.jp/article/62383548.html

 私は葛尾村出身で、震災時職場は南相馬市小高区にありました。今までにない大きな地震がきたため、業務を終了しすぐに帰宅したのですが、通った国道6号線にも1時間後に津波が押し寄せました。判断が遅かったら津波に巻き込まれていたかもしれません。

 3月14日夜9時に村から緊急避難の連絡が入り、避難所となった福島市のあづま総合体育館へ行きました。当初は、2~3日ですぐに戻れると軽い気持ちでいたのですが、家も職場も避難区域となり、最終的に約5ヶ月間そこにいました。職場からは北海道への異動を勧められたのですが、祖母や両親を福島に残して独りで行くことができず、結果失業してしまいました。

 避難所にいる間、村の臨時職員の仕事をしたり、支援にきてくれたボランティア団体の手伝いをしました。そのご縁で声をかけていただき、もりの幼稚園を主体にしている幼稚園の仕事に就くことができました。毎日バスを運転して米沢に通う日々です。積極的に動いて、目の前にあるやるべきことをこなして、今の仕事や自分の行動の幅が広がっていったのだと思います。

 避難区域再編により自宅に戻ることができる人もいますが、私の家の周辺は放射線量が高く、現在も帰宅困難区域となっています。戻れる日がくるのか、今後はどうなってしまうのかまだまだ先が見通せない日々が続き、何も終わっていない「仮の状態」が続いています。でも、後ろを見ていても仕方ないという考えが常にあり、あまり悲観的にはなっていないです。被災者だと甘えるようなことはせず、着実に生きていきたいと思います。
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2013.03.16 Sat l ●たけの子からのお知らせ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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