たけの子の子ども達は、毎日よく遊びます。週の初めのお掃除から始まり、月2回の給食作りも、毎日のわらべうたもごっこ遊びもそりすべりも、とにかくすべてが楽しい遊びになります。
 ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」の主人公大田尭氏は「教育とは何か」の中でこのように述べています。
遊びはヒトが人になる過程での要件です。…遊びが人間の発達にとって深い根拠をもち、生物学的起源に発していることがわかります。子どもの遊びに、歴史や地域が異なっても共通性がみられるのは、それが生物に共通な発達要求にもとづくものだからだとも言えそうです。
 人間の子どもにとっての遊びの特質は、何かのためではなく、それ自身を楽しむ、その行動自体の中に生きることだと思います。子どもたちは、そういう遊びの中で人としての生活の業(わざ)や知恵の基礎を会得していくのです。そればかりでなく、主として子どもたち相互の間で、あるいは大人との間でも、自我の深みから湧き出る価値感情をわかち合ったり、きしみ合わせたりもします。遊びは『子どもの活動の中で、もっとも自発的なもの』(A・ワロン)であるとともに、『子どもの自治』(柳田国男)であると言われるのも、こうした遊びの中にある、人間性の開花にあたっての基本的要因を言いあてているといえましょう。つまり、こうした遊びは一人ひとりの子どもが大人になる過程で、人間性の開花を促すという意味をもった行動として、世代から世代へと伝えられてきたのです。しかも遊びの習得を通じて長くたくわえられてきた文化のごく基本的なものを継承し、さらに子どもたち自ら新しい文化を創造し、大人を含むその時代の文化の創造に参加していく姿もみられるのです。」
 1月の〈たけの子自然学校〉の終わりの会でわらべうた「ことろ」をやりました。「ことろ」は地蔵参りという信仰行事から子どもたちが模倣し創造した遊びで、鬼に対し地蔵が先頭になって子ども達を守ります。
♪(鬼)こーとろことろ どのこがめずき あのこがめずき (地蔵)さあとってみやれ
 非常に単純な遊びでありながら、子ども達は地蔵役や鬼役をやるのを楽しみ、いつまでも遊びが終わることはありません。
「この模倣と創造の両面が背中合わせにあって、遊びに活力と緊張をもたらしているのでしょう」と大田先生は続けて述べています。さらに
「〝遊び〟は…ひとなることのもっとも根源的なエネルギーのたくわえとみることができるでしょう。(中略)
 内面から選びながら発達し続ける人間にとって、幼少期を通じての心理的生理的特質の表現とみられる遊び、その中にある選択的模倣と内発的な好奇心・探究心は、実は人の成長と発達とを促す原動力として、生涯を通じて働きつづけるものだと私は思います。いまの日本の子どもたちが、時間的にも空間的にも遊びの場を失っていることからすると、子どもたちの遊びの環境の創造ということが、都市計画その他の地域計画、住宅政策の中でもきわめて大きな課題であることを指摘しておきましょう。」
 この本は1990年、今から20年以上も前に書かれているにも関わらず、その新鮮さは色を失ってはいません。教育に携わる者は必読書であると言われるのも納得できます。大田先生は「遊びは子どもの仕事である」とおっしゃっています。しかし、「今の子ども達は正に失業者である」と。「子どもの権利条約」第三一条は、その年齢にふさわしい遊びおよびレクリエーション活動を行う権利を認めています。しかし、現状はどうでしょうか。
 福島の復興を国は第一課題で最優先事項であるといいます。除染を推し進め、空間線量をさげ、緊急避難区域を狭めています。しかし、その一方で室内遊びを充実させていくと名言しています。この矛盾に気付いている人がどれだけいるでしょうか。福島は今も決して子どもが安心して外遊びができる場所ではないのです。子ども達の人権が侵害され続けていることに、大人としてただ手をこまねいているわけにはいかないとわたしは思っています。
仲間達が直接間接的に声をあげています。わたしにできることはこのサテライト保育を継続することだと思っています。そうすることで、福島の現状を世に訴え続けることに繋がることを願っています。そして、子ども達のキラリと光る目を見る至福の瞬間に立ち会えたら…。わたしにとってそれ以上の喜びはありません。(辺見)

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2013.02.06 Wed l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top

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