危険にさらされた子どもたち
フクシマの母親たちの怒り

避難すべきか、残るべきか? 子どもたちを空気のいい地域に移動させるか、家のなかに閉じ込めておくか? 政府が危険を直視しない状況と被ばくの危険性のなかで、福島の女性たちは絶望に打ちひしがれながらも、救済の道を模索している。ルポルタージュ。

日の当る道を、3人の女の子たちが楽しそうにおしゃべりしながら、下校してきた。マスクはしていないが、首に線量計をかけている。「調査用に、今月末、この線量計をもらいました」とひとりが語った。「何て言うんだっけ?」と二人目が質問する。「放射線」ともうひとりの子が答えた。福島第一原発から60キロの福島市で、政府(県)は子どもたちに線量計を配布し、学校の土の除染作業をはじめた。しかし、日に日に不安を募らせている母親たちにとっては、測定だけで十分とはいえはない。原発事故から9ヶ月、母親たちは、汚染されたなかでの子どもたちを守る日常の闘いについて語った。“避難”という唯一可能な解決策を納得させようとして、周囲の人たちと対立し、彼女たちはしばしば孤立感を深めている。
 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の事務所で、小林まやさんは家賃無料の住宅情報を整理していた。このネットワークは、長期間の「自主避難」希望者の支援で重要な役割を果たしている。「県は避難を勧めていないばかりか、それに反対している」とこの若いボランティアの女性は言う。ネットワークのサイトにには、避難の説得で悲嘆にくれた母親から、読むのがたいへんなほど多くの書き込みがある。「市役所の人は電話に出るが、答えてくれない。親の不満を聞くだけ。こうした状況は耐えられない」とある母親は書いている。多くの国際機関や民間団体が公式発表の放射線量測定値を疑問視して以来、母親たちは警戒を強めている。放射線量の年間許容量は、事故後すでに増加している。もうひとりのボランティアの椎名ちえこさんはこう主張する。「1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに変更されたとき、私たちは抗議しました。この数値は原子力施設で働く従業員の被ばく量であることは、誰もが知っています。私たちはモルモットではありません! ある日、若い母親は、学校が子どもたちに線量計を配布したと喜んでいました。親たちは、それが子どもたちを守ると思っていますが、線量計は警戒体制を抑えるだけでしかありません。1、2ヵ月後には、測量計を県に返し、放射能の影響を調べるのです」 約36万人の子どもたちと妊婦に配布された機器は、広島と長崎の被ばくで実施されたテストを連想させる。2つの原爆の投下後にABCC(原爆傷害調査委員会)により実施された経験は、治療ではなく、原子力産業の知識を高めるものだった。「ABCCは現在も広島に存在しています。信じられないかもしれませんが、同じことが福島でも行われているのです」と椎名さんは言う。

女の子の線量計は、9月に1.7ミリシーベルトを記録した。この結果を発表したにもかかわらず、自治体は健康には影響ないと宣言した。「子どもを守るふりをした計画はこれからも続くでしょうが、今後も政府が問題ないと言うだろうことはわかっています」と椎名さんはいらだつ。多くの市民団体がネットワーク化されて以来、福島での情報の流れは向上した。しかし、椎名さんによると、やるべき手段は残されている。「ここでの問題は、大半の人が知りたがらないことにあります。母親たちは、匿名を使い、ネットで絶望的な訴えを投げかけています。父親たちは、仕事を辞めたくありません。圧力が非常に強く、子どもでさえ、心配を学校で口にすれば、他の子どもにいじめられます」
 ショッピングセンターのアーケードで、かおりさんは子どものボディカウンターの測定が終了するのを待っていた。市民放射能測定所に設置されたこの器械は、体内被ばくを測定できる。「子どもは5歳と8歳です」とこの若い母親は説明する。3月12日に原子炉が爆発したとき、彼女は福島市にいた。「3月18日に家族で北海道に避難しましたが、4月に戻ってきました。子どもたちは、“放射能”という言葉に関するすべてに、ひどくトラウマを持っています。たぶんもう遅すぎるのでしょうが、とにかく知りたいのです」 心配はしているが、彼女は福島にとどまりたいと思っている。「私の両親が実家に戻ってほしいと言っています。でも、ものごとはそう単純にはいきません…」とかおりさんは笑う。彼女は苗字を明かすのを拒んだ。測定の結果は1ヵ月後にわかる。待ち時間は長いが、福島にはこの一台だけで、この上もなく貴重だ。

「放射能の目に見えない危険を数値化することで、家族の助けになるでしょう。でも、根本的な心配は、食品の汚染です」と市民放射能測定所の所長、岩田渉さんは言う。この測定所は、5月に福島市に設立された。状況は戦争状態に似ている。「ここには、心配するのを否定する人もいます。外に洗濯物を干したり、福島の農産物を買いつづけるのは、否定のしるしです。なにはともあれ子どもを避難させるべきだと納得しました」 しかし、政府の「がんばろう福島」キャンペーン以来、「子どものことは心配しないで」がスローガンだ。「学校は先週、児童を1日1時間だけ外で遊ばせることを決めました」と言うかおりさんのような親たちを、安心させるにはほど遠い政策。中・高校生の避難問題は、さらに微妙だ。中野瑞枝さんは毎日、16歳の長女と確認する。「3月、娘たちと長野県に避難しました。でも、4月9日に長女の高校の入学式に出席するよう、連絡がきました。学校から電話がかかってくるなど、考えたことがなかったのですが…」 それ以来、中野さんは娘の健康を心配している。「末の娘は避難させました。でも、長女は転校したくないと言います。力ずくでそうすべきでしょうか?」 もうひとりの母親、高橋誠子さんは、息子とぶつかる。「東京近郊で受け入れてくれる家に息子を避難させようと奔走しましたが、息子はそれに反対しました。夫も反対でした」と涙ながらに彼女は言う。二人の女性もまたネットワークのメンバーであり、母親たちに避難を促す証言を受け入れている。しかし、彼女たちの子どもは、一緒に行きたがらない。「同級生と同じでいたいのです。いじめられたり、友達と離れるのが怖いのです。唯一の方法は、子ども全員を避難させることです」と彼女たちは説明する。

子どもと夫が危険性を軽視するという家庭背景のなか、母親は罪の意識と無力さを同時に感じている。中野さんの長女は、結婚もしないし子どもも生まない、と宣言した。高橋さんの息子は、弓道の部活を続けるために残りたがっている。学校の責任者がチェックされる超現実的な状況。「転校を申し出たら、長女が通う高校は、生徒の了解が必要だと言いました。まったく理解できません」と中野さんは驚く。彼女の娘は毎日外で部活を行う。それが母親の心配を増長させる。「ガンや遺伝子異常の可能性があるとさんざん話したので、娘はセシウムを調べる尿検査をしたいと言いました。でも、保健所からは、そうした検査は行っていない、と返答がありました。誰も子どもの味方になってくれないのでしょうか?」
横山しのぶさんは、8ヶ月の赤ちゃんに母乳を与えている。彼女は、福島市のホットスポット渡利に4人の子どもと住んでいる。この地域のある地区は、3ヶ月前から4倍の放射線量を記録している。「雨が降るたびに、山から放射性物質が投降します」と横山さんは認める。彼女は、「渡利の子どもたちを守る会」のメンバーだ。「私たちは、汚染された場所をはっきり示す地図を作成しました。でも、政府は避難させません」

横山一家は、2年前にローンで購入した木造の美しい家に住んでいるが、もうすぐこの家を放棄しなければならない。「新潟県への引っ越しを、夫と決めました」と横山さんは言う。「避難は辛い決心でした。この町も、この家も好きです。夫は仕事を辞めなければなりません」 横の居間から子どもたちの大きな笑い声が聞こえる。子どもたちは、プレイステーションの前でくっついて座っていた。「夏の間、子どもたちは家のなかに閉じこもっていました。それが避難しようと決めた理由です」 横田まみさんのケースも似ている。彼女は、原発から北東に65キロの郡山に住んでいた。ここは、放射性投降物で非常に汚染されている地域だ。「16歳の息子を受け入れてくれる北海道の家を見つけました。友達と別れるのは悲しいでしょうが、もはやここには戻って来たくはないと思います」と笑いながら彼女は言う。この母親は、米やコーヒー、その他の北海道の農産物を持って帰り、郡山でミネラルウォーターを無料で供給している。「夫はトラックの運転手で、ローン払いの自宅もありません。それが幸いです!」 たったひとつの心残りは、10年間営業していた飲み屋だ。しかし、これもまた、彼女は放棄する準備をしている。「郡山で最も驚かされるのは、人々が家を再び買いはじめていることです」 地震の後、被災者向けに仮設住宅が建てられた。「賠償金の使い道として、アパートを借りるより、ローンで家を購入するほうを好むのです。でも、こうしたローンが原因で、多くの家族が避難できないでいます」と彼女は指摘する。福島県は自主避難への資金援助を一切しない。しかし、市民団体のサイトには、公共住宅や受け入れ住居の多くの申し出があり、他県からの連帯を証明している。多くの母親たちが選択した宥和策だ。

 田舎のなかの幼稚園で、へんみたえこさんは、十数人の子どもを朝早くから受け入れている。この先生は、子どもたちに「思い切り呼吸してもらう」ために、福島市と山形県米沢市を毎日バスで往復することを選んだ。「米沢市は100キロしか離れていませんが、山が自然の壁を作っています」とへんみさんは説明する。原発事故後、3500人がこの町に避難してきた。「距離の短さから、母親たちは、避難を待つ間、幼稚園に子どもたちを預けてもいいと思うのです。でも、9月から、米沢市に移住する子どもたちが次第に増えました」とへんみさんは続ける。新たな移住者のなかで、竹内ももこさんは、5歳の娘と10月初旬にここにやって来た。「夫は17歳の娘と福島市に残っています。別居ですが、私は自分の選択に後悔していません。私は雇用促進住宅に住んでいます。2年間家賃は無料です。すでに将来について考えはじめています。少なくとも、娘は安全です」
 「広島と長崎で起こきたことを考えると、うまくかないだろうと思います」と、二人の子どもを持つ西田いずみさんは警告する。「福島では、みんなが思っていることです」。7月から米沢に暮らす西田さんは、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下氏が、多くのチラシを使って、健康には何の心配もないと宣言したことを思い出す。この情報は瞬く間に広がった。「私もまた、それを信じたかったです」といずみさんは説明する。「でも、面と向かって現実を見せようとする、市民放射能測定所の岩田さんのような人たちに出会いました。子どもたちと避難するという選択は、知人たちから批判されました。でも、彼らもいつか、そうする日が来るでしょう」
 太陽が米沢の山をゆっくりと昇っていく。毎日の散歩の時間だ。へんみさんは、子どもたちをとともに、川のほうへ向かう。何人かの母親も同行している。3つの災害から9ヶ月、福島は少しずつ忘れられていく。広島と長崎がそうだったように、日本は、重苦しい問題にけりをつけることを選んだ。しかし、余震の繰り返しが、意識を目覚めさせ、抵抗の真のネットワークが整った。北海道から沖縄まで、福島の子どもたちを救うために、母親たちが反乱を起こしている。「数ヶ月の悪夢の後、子どもたちはやっと呼吸することができました」と、トンボと遊ぶ子どもたちをやさしく見つめながら、へんみさんは言う。「でも、戦いは終わっていません。これは始まりにすぎないのです」

Alissa Descotes-Toyosaki
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2012.05.20 Sun l ●たけの子からのお知らせ l コメント (0) トラックバック (0) l top
【福島・南相馬:離散150人が再会へ-希望と絶望の狭間で生きる 】
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M3OVLG0YHQ0X01.html

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福島の子どもたち

不安は大人だけではない。福島県の子どもたちは今でも放射能のリスクにさらされ続けている。都道府県で3番目に広い福島の人口は4月1日現在で197万人、うち15歳未満の子どもが25万7000人生活している。前年より1万5000人減少したが、5歳以下の乳幼児が9万人以上住む。

世界原子力協会(WNA)は、放射線は人間の細胞やDNAを破壊し、長期にわたって被ばくすれば白血病や種々の癌(がん)を引き起こすと説明する。子どもは細胞の成長が早く影響も受けやすい。しかし、原発事故直後と違ってマスクして登下校する子どもの姿は今ではほぼ見かけなくなった。事態は深刻なままだが、危機意識だけが遠のいている。

福島市内の「青空幼稚園たけの子」の辺見妙子代表(51)は「子どもたちにとっても、低線量被ばくが続いているのは同じだ。むしろ表面上は何事もなかったように生活していることで、事態は悪くなっていると思う」と話し、被ばくについて「声を上げられない雰囲気がある」と漏らす。

福島県災害対策本部が4月10日から24日にかけて県内の1138施設を対象に行った放射線モニタリング調査によれば、福島市内の川寒運動公園で平均毎時2.1マイクロシーベルトを検出した。11年4月の前回調査の2.4マイクロシーベルトからは改善したものの、依然として高い数値を記録している。

「人が人間になるために」

「たけの子」は10月以降、園児を福島市内から放射能の心配のないところで遊ばせる「サテライト保育」を毎日実施している。3歳から6歳の4人の子供が月曜から金曜の毎日、山形県米沢市まで片道1時間10分かけて車で移動する。

辺見代表は、サテライト保育を始めて以降、「子どもたちは非常に伸び伸びと毎日外遊びを満喫している」と感じている。「人が人間になるためには五感を使わなくてはならない。使わないまま大人になるとロボットのように感情が持てなくなるのでは」と太陽の光を浴び、屋外で自然に触れながら遊ぶ意義を語った。

しかし、民間の幼稚園がこうしたサテライト保育を続けるのはコスト面から厳しい。今は辺見さん自身がバンを運転している。継続するには、送迎のためのバスや運転手、保育士の確保などが課題になるが、行政などの支援はない。北萱浜の村人は慰霊碑の建立に続き、稲荷神社の修復を計画、380万円の費用を行政に求めているが、回答はまだない。
2012.05.20 Sun l ●たけの子からのお知らせ l コメント (0) トラックバック (0) l top
2012年5月18日号のNewボイス朝日に「幼児期に自然と触れ合う機会を『サテライト保育』実施中」というタイトルで記事が掲載されました。

Newボイス朝日記事
2012.05.20 Sun l ●たけの子からのお知らせ l コメント (0) トラックバック (0) l top
2012年4月も皆様から温かいご支援をいただきありがとうございます。
ガソリン代、そして保育費の補助に使わせていただきました。

佐藤悠子様
舩木 瞳様
Mina Wijckmans様
セビリア日本人会まほろば様
森のわらべ多治見園様
2012.05.10 Thu l ●ご支援のお願いと御礼 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 未曾有といわれる大震災から1年以上が経った。岩手や宮城、福島の北部など、地震と津波のダブル被害を受けた地域については、あれこれ復興に向けた取り組みが報道されるようになってきたので、様子がある程度イメージできるようになっている。本当の復興まで道多しだが、それにしてもがんばっている人々の様子が伝わってくる。
 しかし、福島を中心にした放射線被害の地域については、実態がよく伝わってこない。テレビなどで様子が伝わってこないと、人々はもう事態は終息に向かいつつあるのではないか、少なくとも原発から遠く離れている福島市あたりでは、ふだんの生活を取り戻しつつあるのではないか、ととる可能性がある。

 しかし、実際は全く違う。

 先日、福島市で森の幼稚園に取り組んでいるグループの人たちと会ってきた。福島市などは、周辺の多くの市町村と同じように、とてつもなく高い放射線量は記録していないが、ずっと低線量の被曝をしている地域だ。低線量被曝地域というのは、これ以上だと住んではいけないとか入ってはいけないというほど高い線量値ではないが、一定の放射線被曝が日常的にあるところという意味だ。
 低線量被曝がどういう影響を身体に与えるかということについては、実は専門家の間でも定説がない。ただし、全く影響がないという説はなく、何らかの影響(ガンの発生確率が高くなるなど)があることは分かっている。ただ、どの程度かという特定の数値化ができないということだ。広島・長崎の原爆のあと、そしてチェルノブイリの爆発のあと、低線量被曝で、多くの人がガンや他の病気になっていったことは常識だ。
 低線量被曝というのは、単純化して言えば、安全ではないことは分かっているが、それがどの程度かがはっきりしない不安性の強い被曝ということだ。
 その影響は、間違いなく、幼い子どもに強くでる。放射線は人間の細胞の分子間の電気結合を切り離してしまう。切り離されると分子の結合が壊れてしまうので、それが遺伝子の分子の場合だと、遺伝子破壊となり、正常な細胞の再現ができなくなる。これがガン等の原因になる。遺伝子は壊されても、軽度であれば自己修復するといわれているが、強い破壊であったり頻度が多ければ自己修復もできなくなる。幼い子どもは細胞分裂の頻度が多く、細胞の再創造のスピードも早いことが予想される。だから幼い子ほど、影響が強く出る可能性が高く、心配なのだ。
 想像してみてほしい。――街中のあちこちで低線量の放射線が出ている。そんな場所に住んで幼い子どもたちを育てている。街に子どもたちを連れていくと、きっと悪い影響が出てしまうだろうと不安になる。でも低線量だから、それほどひどくならないかもしれない、とも思う。でも全く影響がないわけではないから、外に出すのは控えた方がやはりいいだろう。でもそうなると子どもたちは外で遊ぶことができなくなってしまう。それはきっと、育ちによくない影響を与えるだろう。でも、外に出ると・・・・――こんな答えの出ない葛藤をみんなくり返しているのだ。

 福島を訪れた日、私を車で運んでくれたある母親は「きのうここで線量をはかってもらったら、ホットスポットでは、チェルノブイリなら住んではいけないという値が出た、といってました」と自嘲気味に話してくれた。ホットスポットとは局所的に線量が高い場所だが、風が吹いたり雨が降ると移り変わるそうだ。福島市内でも、チェルノブイリの立ち入り禁止地域以上の放射線値を示すところがあるという。でもそれがどこか分からない。だから、ここが高いと決めて行動するわけにはいかない。今日はどこが高いか分からない中で行動しなければならない。不安きわまりない。
 除染もあまり効果がないという。除染といいながら、多くは放射性の物質をあちこちに撒き散らかしているだけだからだ。純粋に放射性物質をなくすことはできない。洗って流す過程で、放射性物質はあちこちに飛び跳ねる。本当の除染とはとても難しいのだそうだ。それに、木が生えている山や畑などは全く除染できない。その山や森からまるで花粉が飛び散るかのように、放射性物質が風と共にやってくる。
 低線量地域というのはこうした不安の塊のような場所のことだ。怖い病原菌やウイルスが、あちこちに空中浮遊している中で生活しているようなものといっていい。車で走るときも、風が強い日は、無意識に車内を循環モードにしてしまうという。当然、子どもを外に出して遊ばせることは心配でとてもできないという親がいっぱいいる。子どもがかわいそうでならないといいながら、打つ手がない。
 そんな子どもたちのことを思って、福島市内の子どもと親を、毎日、隣の山形県の米沢まで連れていって、そこで自然と交わって遊ばせているというグループがある。辺見妙子さんを中心にした「青空幼児園たけの子」という自主保育グループで、子どもたちを安全なところに連れていく保育を「サテライト保育」といっている。・・・以下続く。    (白梅学園学長汐見稔幸)

2012.05.10 Thu l ●たけの子だより l コメント (0) トラックバック (0) l top
5月31日
田沢GOLFさんからご招待いただいたので、みんなで初ゴルフ体験

はるきくん、スイング決まってる!
たきとくん、かわいい!


ちえちゃん、素質開花?!
さくら子ちゃん、なぜか藤田さんと。

ホントは藤田さんの秘蔵ショットがあるのだけど、本人の希望により掲載できませんでした

田沢ゴルフさん近くのやまびこ園を見学。
手作りのステキな遊具がいっぱいでした。
たけの子にもほしいなー。


5月30日
たきとくん、1週間ぶりに登園
でも、はるきくんとけんかになり、2回大泣き
懇談会でママが来ていたけど、ママのところには行かず、自分でこらえる。
ガンバレー

5月29日
玄関のジャリをみんなでワッセワッセとシャベルで山づくり。


シャベルがお腹に…。いたいよー
あらあら…。


給食はお餅屋さん。今日はお休みじゃなかったね


5月28日
福島組の二人がお休みだったので、前から気になっていたゆうまくんを訪ねる。
つい10日前に弟が生まれたばかり。
その間、パパと二人で米沢に。
ママと離れて心細い思いをしているのでは、と気がかりだったけど、お兄ちゃんらしい顔つきになっていたので安心した。
学校でもお友達がら40人できたと教えてくれた。


5月25日
「撮ってとってー!」
藤田さんをホッペではさんでつぶしちゃう?


今日はべスターも一緒。
また遊びにきてね
でも、ご飯を食べる時は遠くにいてね。


5月24日
米沢は今日はピーカン晴れ!
以下動画です。
流れるノロノロプール


5月23日
今日のおやつは園に生えてる野草の天ぷら。
タンポポ、イタドリ、ヨモギ、さくら、ミント、ワラビ、アスパラ、モミジ…。
はるきくん、揚げるの上手!
最後はミントティーでスッキリ!


5月22日
今日はいつもの鬼面川へ。
まだ、魚はいなかったね。


5月21日
月曜日はお掃除の日。
たきとくん、まだうでの力が弱くて上手にぞうきんがけができない。
ちょっと悲しくなっちゃったね。


畑に水やり、川遊び。
あっと言う間に一日がおわっちゃった。
「みんなたけの子みたいだったらいいのに」とさくら子ちゃん


5月19日
米沢活元会。
人には自分で元気にできる力を持っています。それを出す方法を教えてもらいました。
わたしは気持ち良くて寝てしまいました


5月18日
たきとくんちとちえちゃんちの家庭訪問。
米沢の二人は7時の電車に乗って福島までやってきました。
その後、こむこむへ。
図書室ではるきくん、たきとくんはかくれんぼ。


5月17日
はるきくん、ホースでバシャー!!
気持ちいいー!


5月16日
農村文化研究所の遠藤理事長の畑を借りてたけの子の畑作り。
スイカはちょっと深めに穴をほるんだって。はるきくん、がんばれ!


みんなで苗植え。


オープンカーに乗ってごきげん!


理事長の奥さん、まさこさんの手作りのおいしいおかずをいただきました。
野菜ギライのたきとくんも思わずパクパク


5月15日
「ボクもかうひとやりたい!」
お買い物ごっこでお店の人ばかりだったのでたきとくんむくれる。


父の日の絵を書いていたのだけど、最後は絵の具の色混ぜ遊び。
ミドリのお髭がかわいい桜子ちゃん。


雨の日はカタツムリが見つかるかも、とお外へ。
いつもよりもスピードが出る滑り台で大はしゃぎ。


5月14日
毘沙門神社までの道、あちこちで道草。
枯葉のオヒゲだぞー


タンポポのわたげをふうー!


たきとくんもふくけど、うーん、できない…。


お昼はお餅屋さんのはずが、なんと定休日
急遽、ラーメン屋さんへ。
おやつまでもらって大喜び!


5月11日
成島ワクワクランドへ。
最初は遊具で遊んでいたけれど、池の中へ入り、アメンボ取りに夢中になるたけの子達




はるきくんがもってるミミズが欲しくて、たきとくんも見つけられて大喜び
「かわいい」って、ニッコリ。


5月10日
米沢市児童館で春のプラネタリウム鑑賞。
外はちょっと肌寒い天気。
藤田さん、風邪ひいたらしい。悪くならないといいね。

5月9日
東京から、たけの子をたびたび支援してくれているバンドの「たね」さんの二人がわざわざたけの子を訪ねてきてくれました。


しかも、子ども達に打楽器をプレゼントしてくれました
結構真剣です。


「たね」さん達の歌の動画です。
「たね」さん達の歌のプレゼント

「たね」のぱっつんさんとへなぱーさんの二人はシャボン玉も持ってきてくれました。


たきとくんは虫取りあみでシャボン玉を捕まえようとしたね。
捕まえるときえちゃったけど、それがおもしろかったね。


5月8日
今日は仙台市の八木山動物園へ親子遠足。


電車の在来線と路線バスを使っての長旅。


ちょうどぞうさんにオヤツをあげる時間帯にいることができて、一人一人ぞうさんに人参とリンゴをあげることができたね。
ぞうさんのお鼻、以外にかたかった…。


5月7日
お砂場でケーキ作り。
水仙の花が豪華!


オトナリのグラウンドで、荷台を使ってぐるぐるー!
みんな力持ちだねー


5月2日
今日は桜子ちゃんの誕生日。
さくらこママのカップケーキとへんみ手作りのおからチョコケーキでお祝いです


5月1日
上杉神社のお祭りで、それぞれ好きなもの500円分だけお買い物。
お金は使うとなくなっちゃうんだよね。どう使うかは本人しだい。


ボクもうめてー。
子どもってどこでも遊びをつくっちゃう。


福大生のボランティア、あゆかお姉さんと電車ごっこ。
あゆかお姉さんは虫ぎらいなんだって。
目標はさくらこ先生だそうです。
2012.05.01 Tue l ●保育日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top